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連載

【私の履歴書・田代親世】第2回 女優志望から、アナウンサーへ


私の履歴書~Profile No.1?

韓国エンターテインメント・ナビゲーター:田代親世さま

韓国ドラマのファンであれば、この方の名前を知らない方は少ないでしょう。
日本で韓流ブームが起こる前から、いち早く韓国コンテンツの魅力に気づき、情報発信を続けてこられた、第一人者です。韓国ドラマ・映画の解説、韓流イベントの司会のほか、幅広いメディアでコメンテーターとして活躍されている田代さんに、その生い立ちから、韓国との出会いまでを、率直に包み隠さず語って頂きました。韓国ドラマファンだけでなく、人生に迷っている人、夢を掴みたい人にも必読のインタビューです。

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周りにアナウンサーに向いていると言われていて、そうなのかな?と思って。

「ハッと目を引く美人ではないけど、その愛嬌はアナウンサー向きだ」と。そこで私も切り替えが早いタイプなので(笑)、すぐにアナウンサー試験を受け始めたわけです。でも発声は勉強していたとは言え、必死で試験の準備をしてきているライバルたちに比べると、私にはノウハウもなく、若干浮いていたと思います(笑)。キー局の試験にはことごとく失敗する中、地方局にもチャレンジしてみることにしたんです。その過程で、最初はミーハーな気持ちから志望したアナウンサーという仕事が、本当にやりがいのあるものだと知り、真剣に目指そうという気持ちに変わっていきました。そして合格したのが岩手放送でした。

もともと転勤族だった私は、見知らぬ街に住むことへの抵抗感もなく、むしろワクワクする気持ちの方が大きかったんです。環境適応能力にも長けていたのも良かったんだと思います。岩手放送には5年半いました。ラジオ、テレビ、ニュース番組のキャスターをやっていたので、アナウンスはもちろん、企画、取材、編集まで何でも経験させてもらいましたね。

ラジオの喋りも放送作家がいないから、自分で考えて書くんですよ。書くことも話すことも、全てここで学びました。私にとっては、学校のような存在でしたね。

岩手放送が初めて海外からの衛星生中継をする時には、ロンドンからレポートさせてもらいました。ロンドンで活躍する岩手出身者の取材レポートでした。その時に、「東京だろうと、岩手だろうと、飛び出す気持ちさえあれば、どこにいても場所は関係ない」ということを感じました。92年のアルベールビルオリンピックのノルディック団体で金メダルを獲った、岩手出身の三ヶ田礼一さんの取材もしましたね。ご自宅で金メダルを触らせてもらった記憶があります。雫石で行われたアルペンスキー世界選手権の取材もしました。岩手にいながらにして、海外との繋がりを感じる取材が結構ありましたね。行く先々で良い経験をさせてもらいました。

でも元々、東京が好きだった私は、最初に岩手に赴任する時、街のネオンが遠ざかっていくのがとても寂しかったんですよ。なので、休みになると東京に行っては観劇などを楽しんでいました。アジア映画の特集上映なんかも、わざわざ上京して観ていたくらいでした。


(第3回に続く)


◆田代親世さん出演イベント
日韓文化交流イベント めぐり逢いコンサート トークゲストとして出演
http://www.koreanculture.jp/info_event_view.php?page=1&number=4521&cate=&keyfield=&key

◆著書


「恋する韓流」(朝日新聞出版)-韓流10年の活動を振り返ってのエッセイ本




「韓国ドラマが教えてくれる 心が強くなる40の言葉」(中経の文庫)-ドラマの名セリフを取り上げて解説する情報本




小説「台北に舞う雪」(朝日新聞出版)監修-映画化になったオリジナル脚本をもとに書き下ろした小説




小説「泡沫の夏」(新書館)



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