Cinem@rt エスピーオーが運営するアジアカルチャーメディア

韓国映画特集

コケても立ち上がる! 韓国映画の“怪獣”が描いてきた敵とは

金大中政権の肝いり人事が大コケ『怪獣大決戦ヤンガリー』

『大怪獣ヨンガリ』は興行的には成功したものの、ゴジラのようにシリーズ化されることはなかった。それでも韓国怪獣の代名詞として細々と語り継がれてきたヨンガリが、最先端のCG技術によって復活を遂げたのが、30年後の『怪獣大決戦ヤンガリー』(シム・ヒョンレ監督、1999年)である。

 


『怪獣大決戦ヤンガリー』 資料提供先:韓国映像資料院


本業はお笑い芸人であるシム・ヒョンレ監督は、着ぐるみ人形劇のような子供映画を何本か撮っていたものの、評論家にも観客にも見向きもされない存在で、映画が封切られるのはほとんどが町の公民館といった具合だった。しかし映画への情熱だけは人一倍持っていたシムは、スピルバーグの『ジュラシックパーク』(1993年)を見てCGの素晴らしさに感銘を受け、ハリウッドと勝負できるくらいのCG映画を作る決心をしたのだという。そこで彼が目をつけたのが、韓国を代表する怪獣ヨンガリだった。

全財産をつぎ込んで、韓国のCG技術で蘇らせたヨンガリの宣伝映像を発表したシムは、「ハリウッドを凌駕する」と繰り返し、「本格的なアメリカ進出のためにすべての俳優をハリウッドからキャスティングした」とか、「すでにアメリカを含めた数か国と輸出契約を結んでいる」と豪語した。

建国以来、良くも悪くもアメリカの影響下に置かれ続け、「アメリカ=成功」というイメージを植え付けられていた韓国では、一気にヨンガリが国民の注目を集めることとなる。
韓国の技術がハリウッドに追いついた!
韓国映画にハリウッド俳優が出る!
こんな素晴らしい作品は絶対に国として後押しすべきだと世論も高まっていった。

その結果、当時の金大中(キム・デジュン)政権は、韓国に新しい利益を生み出すアイディアや知識を支援する「新知識人」制度の第1号にシムを選出した。アメリカを凌駕するCG技術を駆使し、映画の輸出で国家に多額の利益をもたらす彼こそが、既存の評価にとらわれない、個人の能力を極めた「新知識人」なのだと国家のお墨付きを得たのだ。


1997年のアジア通貨危機でIMFによりプライドをずたずたにされた韓国国民にとって、ヨンガリは大きな慰めとなった。もはやヨンガリは共産主義を具現化した怪獣ではなく、今度は「アメリカと対等な韓国」を象徴する国家ナショナリズムのメタファーとなったのだ。この映画が完成すれば、アメリカもさぞびっくりするに違いない。「ヨンガリ・ナショナリズム」はますます高まりを見せていった。

だがその後の展開は悪夢のようだった。

誰もが待ち望んだ公開初日、映画館には長蛇の列が伸びていたにも関わらず、観客は日に日に減る一方だった。と同時に溢れ出す評論家の悪評と観客の失望の声。そう、出来上がった『怪獣大決戦ヤンガリー』は、粗いストーリーに無名のハリウッド俳優たちの下手な演技、雑な演出と、ムダと綻びだらけの完成度の低いC級映画だったのだ。

肝心のCGも初歩的なレベルにとどまり、このまま世界に輸出すれば驚かれるどころかむしろバカにされるに違いない、韓国の恥だ!と世論は冷え込み、興行も惨敗に終わった。シム監督とヨンガリ(・ナショナリズム)は、一瞬にして天国から地獄に突き落とされてしまったのである。

しかし、シムはその後も「新知識人」としての名誉を挽回すべく、イムギという韓国の伝説の怪獣をCGにした『D-WARS ディー・ウォーズ』(2007年)で再起を図ったものの、『~ヤンガリー』の二の舞となり失敗、現在は本業のお笑い芸人を細々と続けている。


『D-WARS ディー・ウォーズ』©2007 YOUNGGU ART CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

 

ところで、1967年の『大怪獣ヨンガリ』と1999年の『怪獣大決戦ヤンガリー』の間にも、怪獣映画がまったく作られなかったわけではない。
何本か作られてはいるものの、ほとんどはフィルムが残っておらず、私の知る限りは、『宇宙怪人王魔鬼(ワンマグィ)』(クォン・ヒョクジン監督、1967年)と『飛天怪獣』(キム・ジョンヨン監督、1984年)の2本が存在するのみである。中でも『飛天怪獣』は日本の特撮テレビドラマ「ウルトラマン」シリーズを無断で切り取って使用したという信じられない作り方をしている。当時の韓国では、日本のエンターテインメントは禁止されて公には輸入ができなかったために、こんなことがまかり通っていたのであるが、韓国の貧しい特撮技術の歴史を端的に物語っているとも言えるだろう。

 

記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!

TOP