Cinem@rt エスピーオーが運営するアジアカルチャーメディア

連載

【私の履歴書・延 智美(ヨン・ジミ)】第2回 高校卒業後、ソウルへ


私の履歴書~Profile No.2~

「通訳は裏方の仕事だから、私が表に出るなんて!」と、恐縮されていた延さん。しかし、いざインタビューが始まると、通訳をされているのは勿体ないほどの滑らかな語り口!凡人には決して経験できない延さんの半生に、身を乗り出して聴き入ってしまいました。延さんのインタビュー、必見です。
・・・

高校を卒業して渡ったソウルでは、母方の伯母夫婦の家で世話になりながら、テハンノにある在外同胞のための教育院で1年間の語学研修を受けました。教育院では日本以外にも東南アジア、アメリカ、南米など、世界中に散らばった同胞達と共に韓国語を学んだのは、良い経験でした。

そして88年、帰国子女枠で延世大学史学科に入学しました。大学で史学科を選んだのは、日本の高校時代に西洋史が大好きだったから。特に韓国の歴史に関心が深いわけではありませんでした。私の大学時代は、学生運動が民主化運動の最後の火花を散らしているときでした。特に、延世大学は学生運動のメッカとも呼ばれていたところでしたから、デモで授業が休講になることも多かったんです。多いときは週に3、4回デモがありました。校門前で学生と機動隊が対峙し、火炎瓶と催涙弾の応酬が繰り広げられて...デモの後も催涙ガスの臭いというのはしばらく消えないんですね。顔がひりひりして、流れてくる鼻水と涙をハンカチで押さえながらキャンパス内を歩く、ということが日常的にありました。翻って日本の80年代後半はバブル真っ盛り。「おにゃん子クラブ」が大人気というような、大衆文化全盛期の日本から、いきなり学生運動真っ盛りの韓国へやってきた私には、ギャップが激しくて、全くの異空間に来たような感覚でした。

第3回へ続く

記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!

TOP