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時代を彩った「チーパオ/チャイナドレス」|中国時代劇トリビア#57

「海棠が色付く頃に」場面写真

前回はドラマ「海棠が色付く頃に」から、中国の化粧品に関するトリビアをご紹介しました。今回は中華民国時代を彩るチーパオ(チャイナドレス)について、探っていきたいと思います。

チーパオの原型は満州族の民族衣装で、元は男女兼用です。ゆったりとしたまっすぐな形で、馬に乗るのに都合が良いように、脇にスリットが入っていて、ズボンと組み合わせて着用されました。防寒のために綿が入っているものもあり、パーティードレスとして着用されるスマートなチャイナドレスなどとは少しイメージが違うスタイルのものです。ちなみに、日本ではチーパオをチャイナドレスと呼びますが、これは日本独自の呼び方になるそうです。

清朝が滅びると清朝時代の服を着る人が少なくなり、衣服の西洋化が進んでいきますが、チーパオは洋裁を取り入れて西洋風へとスタイルの変化を遂げ、その姿をとどめていきます。

「海棠が色付く頃に」場面写真2

1910年代、1920年代には清朝時代のチーパオに対して細みになり、綿入のタイプが消滅します。1930年代からは着用時に体型が如実に表れる形になり、身体に密着するスタイルが際立ってきます。民族衣装としてのチーパオは長袖が基本でしたが、民国時代の新チーパオは、袖なしや半袖が主流で長袖タイプは減少していきます。

新チーパオは1910年代半ばに上海で流行後、1920年代から1940年代にかけて全国的な広がりを見せました。特に広東省広州市辺りでは爆発的な人気となり、以降、チーパオは地方ごとに様々なスタイルを展開していきます。1930年代の最先端のスタイルでは主に北京発祥の“京派”と上海発祥の“海派”の違いが有名だったそうで、京派は古風な作りで、海派の方が西洋風に華美で、腕と足の露出を強めていました。

こうしてチーパオはよりボディコンシャスなスタイルとなり、女性の美しさを際立たせる衣装へと進化していきます。とはいえ、チーパオは当初は日常着としても着用されたので、多くの人が想像するセクシーなドレスとは異なり、あくまで実用にかなった機能性の高い普段着であったのです。

「海棠が色付く頃に」場面写真3

このころの歴史的背景として、中国では女性解放運動が活発化されるようになり、その一部で「天乳運動」というものが起こります。これは、束縛された女性の胸部を解放する運動で、欧米で先に起こった女性美基準の変化(マニッシュ・ルックやギャルソンヌ・ルックに観られるFlat boy-like の基準の退化。1930年代にアメリカではブラジャーが立体になり、女性の胸部にも美の基準がおかれる)とあわせて、中国でも女性がボディコンシャスなスタイルを受け入れ、胸部を強調するようになったのです。

しかし、1949年に中華人民共和国が建国されると、女性の軍装化が進み、新チーパオのような華美な衣装は着ることがなくなっていきます。特に1966年に始まった文化大革命では、このような服装をした女性は攻撃の対象になっていきます。このころのチーパオの変化は、上着にチャイナブラウスと、下衣はズボンの着用というツーピースのスタイルがあげられます。

やがて70年代末から80年代にかけての改革開放の時代にチーパオは復活、現在も様々なスタイルとなって、女性たちの美しさを引き立てる衣装として愛されています。


Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。『台湾エンタメパラダイス』『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)にて執筆記事掲載中。

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