Cinem@rt エスピーオーが運営するアジアカルチャーメディア

【のむコレ2020】映画 『ザ・ライフルマン』 ラトビアより主演俳優のコメント映像・インタビュー到着


――『ザ・ライフルマン』ですが、ラトビアで興行収入が歴代ナンバーワンだったと伺っています。

ラトビアだけでなく、バルト三国(他エストニア・リトアニア)で同じような状況だと思います。国内でプレミア上映が行われたとき、私も含めてこの映画にかかわった人たちはみんな緊張していたんですよ。

『ザ・ライフルマン』の製作には、国が多額の出資をしています。ある意味、国民の税金を使っているわけですよね。だから、良い映画でなければならないと思っていたんです。エンドロールが終わった瞬間、称賛の声が飛び交ったので、ホッとしました。鑑賞中に泣いている人も多かったようです。


――同じくラトビアの独立戦争を描いたものとしては過去に『バトル・オブ・リガ(Defenders of Riga,2007)』という作品がありますね。

『バトル・オブ・リガ』は、『ザ・ライフルマン』と引き合いに出される作品かもしれませんが、比較は適切ではないと思います。『バトル・オブ・リガ』は娯楽映画としての性格が強く、描かれている出来事には史実とは異なる部分もあります。

その点、『ザ・ライフルマン』は、原作者グリーンスの史実小説『BlizzardofSouls(吹き荒れる魂)』を忠実に映像化したもので、そこが大きな違いです。


――確かに、エンドロールに当時の写真が出てきますが、映画の場面とそっくりで驚きました。

この映画の目的は、ラトビア独立戦争や、第一次世界大戦中の出来事をできる限り正確に伝えることなのです。制作の過程でさまざまな歴史学者や軍事専門家から意見を聴いたと伺っています。


――原作小説『吹き荒れる魂』はとても有名だそうですね。

ラトビア国民なら誰もが少なくとも名前を聞いたことがあるほどたいへんよく知られた小説です。ソ連占領時代は禁書扱いされており、所有していただけで処罰対象になったのです。当時はキリスト教の聖書も同様に所持を禁じられていました。ですから、多くの家庭では、原作本は聖書と同じぐらい重要な本だったと言っても過言ではないと思います。

今の若者の多くはこの本のことも作者の存在も知りません。私がこの本を初めて手にしたのは12歳のころだったと記憶しています。パラパラとめくっただけで、通して読むことはありませんでした。実を言うと、映画の撮影には読み終えていない状態で臨んだのですよ。


――主役のアルトゥルス役に決まった経緯を教えてください。

私にとって『ザ・ライフルマン』は初出演、初主演の作品です。私は首都リーガの西にあるクルディーガという町に住んでいたのですが、そこでこの映画のオーディションが実施されることを母がどこかで聞きつけてきたのです。私に興味があるかと聞いてきました。趣味で映像作品をつくっていましたから、勧めてきたのだと思います。

最初はためらいました。自分向きかどうか、自分でもわからなかったからです。それでも好奇心はあって、翌日、同級生が二人、オーディションを受けに行くというので、ちょっとのぞいてみようと思ってついて行ったら、自分だけ選考に通ってしまいました。

この1回目のオーディションでは渡されたセリフを読むテストがあったのですが、読み上げた端から、一瞬にして忘れてしまうのです。二度目に読んだときも、頭の中から言葉がスーッと消えてしまって焦りました。まったく集中できなくて、吐き気すら覚えるほどでした。

2回目のオーディションで、スタッフと初めて会いました。このときはもう気持ちが張りつめてしまって、どうにかなりそうでした。自分の思う映画監督というのは、なぜかハリウッド映画の、ずっと怒っているような厳しいイメージなんです。怒鳴りつけられたりして、ひどい目に遭わされるのではないか…と覚悟していたのですが、いざジンタルス・ドレイベルグス監督にお会いしてみたところ、5分でその印象は変わりました。監督はとても優しい方なのですよ。

3回目のオーディションには、私のほかに二人の候補者が残っていました。映画の実際の場面を幾つか演じる課題があったのですが、私たちはライバルでありながらとても仲が良くなって、お互いにセリフの練習をし合いました。自分が選ばれるなんて思っていませんでしたから、アルトゥルス役に決まったと知ったときには心底驚いてしまいました。本当に「まさか自分が」です。

撮影は私が参加する前からすでに始まっていました。私の最初のシーンは、「学校でのダンスの夕べ」でしたが、残念ながらそのシーンはカットされてしまったようで、映画のなかには出てきません。かなり緊張して撮影に臨みましたが、なんとなく自信のようなものがありました。カメラが回った瞬間、よし、やれるぞ、という気持ちになるのと同時に、何か輝かしいものへの扉が開け放たれたように感じました。


――そのように感じたのはなぜでしょう。撮影に入る前にアルトゥルス役を完璧につかんでいたということでしょうか

役作りのための明確なプロセスのようなものはありませんでした。まずは、自分がもしその場にいたらどう行動するか、解決のために何をするかを繰り返し考えました。撮影に入ったばかりの段階では、まだ小説を読み終えていなかったこともあって、多くの場面で監督の指導を受けながら役をつかむ手がかりを得ていきました。

それぞれのシーンを撮影する前に即興的に演じてみせ、監督と答え合わせをする感じですね。監督からは、もっと落ち着いてとか、うれしそうな気持ちになれ、ここは悲しい気持ちで、緊張した感じを出して、など、個別のシーンに応じた具体的な指導があって、徐々に自分のアルトゥルスをつくりあげていったのです。

実はこの映画に参加するまで、演技の経験はありませんでした。映画が好きでしたから、映画にかかわる仕事のひとつとして俳優になる夢はなんとなく持っていたという程度です。学校では映像クラブに所属していたのですが、そこではどちらかというと撮影監督をすることが多かったですね。自分のネコに関する映画を作ったら、あるコンクールで1位になったんですよ。先生を撮影して作った作品もあります。暇なときにはハリウッド俳優のまねをして、それを撮影して遊んだりもしていました。


――ちなみに、どなたのモノマネをされたのでしょうか。

ジェイソン・ステイサムです!私の一番好きな俳優なのです。彼のまねをよくしていましたね。


――映画のなかではさまざまな武器を扱う場面がありますが、苦労された点はありますか。

武器には慣れていたというか、ラトビアは小中一貫校が多いのですが、各学校に部活のような形でラトビア国防軍の青年団が置かれていました。参加したい生徒だけが参加するものです。私はしばらく入隊しており、空気銃を使った訓練を受けたことがあります。でも、ごく短期間だったので、より本格的な武器を扱うまでには至らなかったです。

撮影前に俳優を集めた合宿が実施されたのですが、そこで軍事専門家であり現役の国軍の方から指導を受けて、武器の扱い方や軍人としての歩き方など、必要な知識を身につけました。

ラトビア国防軍青年団への参加は任意と言いましたが、ラトビアの若者には二つのタイプがあると思います。スリルや新しい経験を求めて参加する積極的なタイプ。あるいは、怖いと感じて遠ざかってしまうタイプ。

でも、私はそのいずれでもなく、どちらかというと参加した動機のなかに国を愛する気持ちがありました。入隊時に提出する申込書で、冒険を求めているのではない、サバイバルの知識を身につけ、国を守りたいと書いたことを覚えています。

自分のこの性格は、おそらく父や祖母からラトビアの歴史についていろいろと聞いて育ったことによると思います。あまり深いところまで掘り下げた話ではなく、あくまで父や祖母の体験談ですが、歴史に興味を持つきっかけになりました。ラトビア人兵士を追悼する3月16日の記念日や独立記念日の行事に参加したりして、自分なりに国や歴史のことを知りたいと思って調べてきました。

オーディションのなかで、こういった経験に言及したかどうかは覚えていませんが、撮影中にはほかの俳優やスタッフに自分の体験を話しました。


――撮影期間はどのくらいだったのですか。

撮影は4つの期間に分けられて、それぞれは2週間程度でした。私が実際に現場にいたのは、合計で1カ月ちょっとでした。当時はまだ高校生で、学業と撮影の両立に苦労しました。映画に参加する前はアルバイトをしていましたが、さすがに撮影が始まると、時間的にも体力的にもアルバイトなどする余裕はなかったです。


――精神的、肉体的に大変だったのはどの場面ですか。

クリスマスの戦いのシーンが、精神的にも体力的にもきつかったですね。撮影中に気を失ってしまったことがあったんですよ。おかげで主人公の気持ちには近寄れたと思いますが(笑)。あの場面の撮影後、数日間はウツのような状態になってしまい、誰とも話したくなくなって、一人きりになりたい気持ちでいっぱいでした。

ここ最近のラトビアの冬は、冬とは言えない、秋の続きのようなものでしたが、撮影当時の冬はしっかりした冬で、マイナス15度、マイナス25度になる日もありました。撮影は真夜中に行われ、睡眠のサイクルが乱れて不眠症になりがちでした。昼間に寝ておくべきでしたが、なかなか寝られなかったのです。

撮影の現場では食事が1日3回出たのですが、それ以外の時間は食欲がなくて、水分補給すらしっかりできませんでした。一度、マイナス15度の気温下の撮影で、吹雪を演出するために、自分の顔のすぐ前に大きな扇風機が置かれたことがありました。カメラが回っている間ずっと冷たい風に直撃され続けたんです。映画のなかでアルトゥルスはどんどんやつれていきますが、あれは完全にリアルです(笑)。この場面の撮影が終わった翌日は、顔の皮膚がすっかり荒れてしまってはがれ落ちる状態でした。体力的にきつかったことといえばそのぐらいで、5分か10分休憩をとれば、また全力で撮影に臨める状態でした。

これは裏話ですが、アルトゥルスが雪原で腹ばいになって進むシーンがありますよね。途中でツルコケモモを雪の中から掘り出して口にするのですが、肝心のツルコケモモがその場になくて、あとからCGで加えているんですよ。私は見えないツルコケモモを食べるふりをしなければなりませんでした。


――ラトビア軍が撮影に協力していますね。

そうなんです。はじめは爆発の轟音や爆音に慣れるまでが大変でした。腹ばいになった自分の真下の土が揺れたときには怖かったですし、めまいを起こしそうにもなりました。数日もたつと慣れてしまって、ふいにテスト爆発が起こってもまったく動じなくなりました。


――アルトゥルスを演じることで、ご自身に変化はありましたか。

映画の撮影が進むにつれて、私自身も成長していったと思います。以前の自分は無責任な側面が多くありました。アルバイトで稼いだお金をすぐに使ってしまったりして、楽しく生きる人生がいいと思っていました。

アルトゥルスを通じて、ラトビアのライフル隊の日常がどれほどつらかったのかを体感し、13世紀に北方十字軍の侵略を受けてから1991年の独立回復に至るまで、みんなどれほど苦労しつらい思いをしたのか、また、どれほど多くの方々がむごたらしい死に方を遂げたのかを理解すると、私のなかで変化が生じて、自分の言動に責任を抱くようになりました。何よりラトビアという国が存在して、ラトビア語で自由に話せるありがたさを骨身に染みて感じました。


――今後はどのようにしていきたいと考えていますか。

撮影に参加してみてわかったのは、このときの自分は俳優になりたいという気持ちより、歴史と戦争のありさまを知り、追体験したかったのだということでした。

『ザ・ライフルマン』のあと、2本の映画に出演しています。俳優としてやっていける手応えがつかめたら、続けるかもしれません。現実的なところで、今年は就職して、来年、大学に進学する予定です。将来は政治家になりたいという目標もあります。




【シネマートのむコレ 2020】
シネマ-ト新宿 11 月6日(金)公開
シネマート心斎橋 10 月23日(金)公開

配給:アクセスエー
原題:BLIZZARD OF SOULS/ 製作国ラトビア /2019 年 / 109分
© 2020 Kult Filma. All Rights Reserved.
音声:ラトビア語他
日本語字幕 カラー シネマスコープ 戦争アクション /DCP 上映

<スタッフ>
監督:ジンタルス・ドレイベルグス
脚本:ボリス・フルーミン
プロデューサー:インガ・プラ二 ェ ヴスカ
原作:アレクサンドルス・グリーンス 『 BLIZZARD OF SOULS 』

<キャスト>
オトー・ブランテヴィッツ
ライモンツ・ツェルムス
マールティニュシュ・ヴィルソンス 他

記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!

TOP