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言葉なんていらない


それは、信頼関係だったり絆だったりを表現する時によく使われる。

でもそれ自体を伝える手段が言葉しかないのだから言葉は必要なのだ。

いきなり屁理屈を言うつもりではない。状況の意味合いとしては大好きな表現だ。
何にしてもそういう関係はとても素敵な事だと思うし、ある種の理想郷とすら思っている。

出会ってから何度も何度も言葉を交わし、時には口論となり、くり返した先にあるもの。
長い時間をかけて互いの存在を必要とし、認め合ってようやくたどり着いた大切な証。
それが「言葉なんていらない」という境地なのだ。きっと。

でもそのラストピースを伝えるために「言葉を使わなければならない」というジレンマ。
いらないと言ってるそばから思いっきりそれを使っているのだ。
いらない絆ならそんな説明さえも言う必要はない。でもその確信めいた何かは証明したい。
だって人間だもの。
言葉のおかげで築き上げてきたのに必要なくなったら「言葉なんて」よばわりの皮肉。

これが僕にとっての"言葉というものに対する最大にして永遠のテーマ"

の、表現方法だ。
ジレンマに日々悩んでいるわけでなく、要するにそれくらい追求していたいという一例だ。
「どうでもいい」と発言してるうちは「どうでもよくない」としか僕には聞こえない。
本当にどうでもいい事なら意識はもうそこにないからそんな言葉出てこない。


さて、ちょっとこの言葉を書いてみよう。

「盗んだバイクで走り出す」

え?お前なにをやってるんだ犯罪じゃないかと、そう思われるだろうか?まじめか。
違う、そうじゃない。
このたった1行を見て真っ先に脳裏をよぎるのはあのメロディーだ。
逆にあのメロディーが流れたら自然にこの言葉が出てきてしまうくらいだ。
同時に、世代の人達にとってはそれぞれのセピア色の風景がよみがえる瞬間となる。
現に僕自身、いまこう書きながらノスタルジーな感じが非常に心地良い。

過去の偉人たちの素晴らしい名言はいつまでも心に残るものだとは思っているが、
年齢と共に記憶も薄れてついつい忘れがちにもなる。
今ではネット等で色々と検索してみて思い出す事は可能だが。

しかし、メロディーが融合したとたんにこうして忘れることのできない言葉となる。
メロディーに乗せて発せられてきた言葉は過去の場面までをも思い起こし、
それぞれの人生の軌跡というデッキでいつでも再生される。


「セーラー服を脱がさないで」

これまたバイクを盗むことの比じゃないくらい犯罪の匂いが見え隠れしているが、
この言葉を聞いて警察沙汰だと騒ぐやつはまずいない。
ノスタルジーな匂いとあのメロディーしか思いつかないからだ。

そして季節は巡り時代は移り変わって「フォーチュンクッキー」。
全体の詞の内容はともかく、やはりあの方の言葉のピックアップセンスには脱帽だ。
歌うグループを特に好きでもないのに、馴染みのなかったお菓子でさえも強烈に残す。
きっとこの先何十年たっても、気にもしないお菓子だったはずのフォーチュンクッキーは
色あせないタイムカプセルとしてひとつの時代を象徴するキーワードとなっているだろう。


「ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパー」

猛暑でついに気でもふれたかと思われそうだが絶対にそうは思われない。はずだ。
これはもはや国民にとっての休日、そして明日の活力へと続く唯一無二の言葉だからだ。
ついでに言うとエジソンは偉人だという事まで再認識させてくれている。そんなの常識だ。


「リンダ」

なんだ?ハミルトン?山本?これだけでは単なる外人さんの名前でどうという事はない。
では、試しに2回続けてみよう。


「リンダリンダ」

するとどうだ。
とたんにエネルギッシュなメロディーが浮かびあがるから不思議だ。
ついでに言うと飛び跳ねたくなるから不思議だ。捻挫には注意だ。


「笑ってもっとベイベー」

日常会話では絶対に使わない言い回しだ。可能性があるのは花輪クンくらいだろう。
だけど、ここだけ読むとコミカルなのに世界中の誰もがきっと切ないラブソングだと知る、
まさに最強の愛の言霊だ。


メロディーだけでは「音楽」というものはここまでの発展を遂げていない。
もちろんオーケストラ等の演奏による素晴らしい音楽があるのは言うまでもないのだが、
歌うこと、カラオケというものが大勢の人にとって今日まで必要とされてきたのは
そこに言葉があるからだ。声だって音の振動だという事をひっくるめて「音楽」だ。

改めて声を大にして言いたい、「言葉」は人類の叡智の結晶なのだ。
たったひとことでも、使い方ひとつで刃にも癒しにも革命にもなる繊細なシロモノだ。
ゆえに失敗する事も沢山あるが、もっともっと大事に使っていきたい。

最後に「I LOVE YOU」

珠玉の名曲は、世界各国のアーティストが今でもカバーし続けて歌われている。
愛を歌に乗せ、言葉をメロディーに乗せて伝えていく事にこだわった
尾崎豊さんの想いは永遠にこの世から消えることはないだろう。


<筆者プロフィール>
名前:UMS(エスピーオー男性社員)
出身地:ここではないどこか
現在地:文京区
部屋:落ち葉に埋もれた空き箱みたい
星占い:そんな今週はナチュラルメイクで気分転換よ。まで読んで女性雑誌だと気づく
好きなAKB48:ちらっと見かけた時の左奥の12番目
好きなタイプ:エリー










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