コラム
サイムダンが生きた時代

サイムダンが生きた時代とはどんな時代だったのでしょうか。「師任堂のすべて 朝鮮時代に輝いた女性芸術家」翻訳者の青島昌子さんが2つの切り口で解説します。


第1回:文化と芸術   2017.10.13更新
第2回:女性の生き方  2017.10.16更新

第2回:女性の生き方

朝鮮王朝は建国時より、儒教を基本理念として運営されます。この背景には高麗時代に仏教が国家の庇護の元で腐敗していたことがあります。朝鮮を開いた李成桂(イソンゲ)とその参謀役だった鄭道伝(チョンドジョン)は政治から仏教を排除し、儒教が重んじる「仁」に基づいた政治を実現しようとするのです。

とはいえ、朝鮮に儒教が浸透するまでにはかなりの時間を要することになります。
そんな中、王位に就いた第4代王・世宗は学問研究機関集賢殿(チピョンジョン)の拡充を図り、儒教政治の基盤を整えました。

こうして世宗はさまざまな儒教関連書籍を編纂していきますが、1446年の訓民正音公布後はハングルによる書籍も多数刊行され、庶民の間にも儒教が浸透していきます。

サイムダンは結婚後も江陵(カンヌン)の実家で暮らしていました。
これは当時の朝鮮が、婿が嫁の家に入るという、古代から続く婚姻風習をまだ維持していたからです。

儒教の浸透によってこの風習は消え、女性は結婚したら夫の家に入って婚家に仕えることが、徳とされるようになりました。
サイムダンが生きた16世紀前半はちょうどその過渡期にあったといえます。

儒教の浸透によって、それまで息子と娘の区別がなかった財産相続や祭祀の習慣にも変化が訪れます。
財産相続は長子が優遇され、祭祀もまた長子が執り行うようになるのです。

本ドラマで、ヒョルリョンが祭祀をする約束で漢陽の家を相続するのは、儒教以前の風習がまだ残っていたからです。

サイムダンがもう少し遅い時代、16世紀後半の生まれであったなら、実家暮らしも芸術活動もすべて困難であったかもしれません。
それどころか、祖父や父から文字を習うことすら、不可能であったかもしれないのです。

儒教の浸透は女性たちから多くの自由を奪ったといっても過言ではないでしょう。


Text:青島昌子(ライター、韓国語翻訳家) 
1990年代に韓国に留学。帰国後は翻訳、通訳として活動。韓流ブームとともに執筆活動に入る。翻訳書「スノーキャットのひとりあそび」(二見書房)共訳「韓国の歴史を知るための66章」(明石書店)「美男<イケメン>ですね フィルムブック」(キネマ旬報社)など。得意分野の本格時代劇を中心に、DVDオフィシャルライターとして「龍の涙」「ケベク」「チャン・オクチョン」「お願い、ママ」など、多数の作品に参加。

「師任堂(サイムダン)、色の日記」©Group Eight

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