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【SPO社員インタビュー】シネマート六本木元支配人・村野 第1回 出会い・シネマライズ編

2015年6月14日に惜しまれつつ閉館したアジア映画専門館・シネマート六本木で最後の支配人を務めた村野奈穂美の、アジア映画とともに歩んだ15年間を振り返るインタビュー!

第1回目は、アジア映画との出会い。キーワードは王家衛とシネマライズ!

―まず、アジア映画とはどのように出会ったのですか?
村野:もともとは映画業界とは別のところで働いていたのですが、「これから自分が何をして生きていけばいいのだろう?」と悩んでいる時期があったんですよ、何もない時期が。そんな時にたまたまテレビに金城武さんが出ていたんですね。宮沢りえさんと共演していた「聖夜の奇跡」(95)というドラマで。

―国内のテレビドラマですか?
村野:はい。私は彼の事は知らなかったんですけど、単純にかっこいいなーと思って。
金城(かねしろ)を"きんじょう"と読んでいたので沖縄の人なのかなと思っていたら、弟が「この人は日本の俳優さんで、香港の有名な監督の映画に出ている人なんだよ」って教えてくれたんです。
そこから時間が空いて、たまたま手に取った雑誌に金城武さんのインタビューが掲載されていたんです。

―その雑誌はインタビューが読みたくて買ったんですか?
村野:全然。たまたま暇だから買って、パラパラと捲っていたら金城武が出ていて。
「あの時の彼だ!」と思いながらインタビューを読んでいたら、ウォン・カーウァイ(王家衛)という監督の映画に出演していて、その映画が公開するという記事だったんです。
すでに『恋する惑星』(94)が公開されていたので、そこが入り口という方が多いと思いますが、私はちょっと遅くて。
そのインタビューは『天使の涙』(95)という作品のプロモーションだったんですね。
渋谷の"シネマライズ"でもうすぐ公開するよと。(1996年6月29日から)
それで千葉の田舎者が生まれて初めて単館系の映画館に行くわけです、ドキドキしながら(笑) 「何着て行こうかな...」とか「怖い人いないかな...」という感じで(笑)

―それはドキドキですね(笑)
村野:かなりビクビクしながら劇場に向かって、チケットを買い、席に着き、映画が始まりました。
そしたら本編が始まった瞬間から鳥肌が立つくらいの衝撃だったんですよ!
ぜひ『天使の涙』の冒頭のシーンを観て欲しいんですけど、本当に10分位息をするのも忘れる位のめり込んで、「なんなんだ、このカッコいい映画は...!?」って(笑)
金城武はしばらくしないと出てこないんですけど、もう彼を観に来たことを忘れていましたね。前の席の背もたれをつかんでいたんじゃないかってくらい、完全に前のめりで。
金城くんが"豚に乗っかってマッサージする"という有名なシーンがあるんですけど、その辺ぐらいでハッと「あ、私この人観に来たんだ」って我に帰るくらい夢中になって観たというのが最初の出会いですね。

―もともと映画は観る方だったんですか?
村野:そもそも私、全く映画ファンじゃなかったんですよ(笑)
だから普通、この業界に入る人は小さい時から映画体験があって、「○○監督が!」とか「俳優の○○が!」みたいな話をするじゃないですか。映画好き同士で映画談議とか。私はその輪には全く入れなくて...。
テレビで見る、ジョニー・デップとかディカプリオとか、みんなが知っているイケメンスターとかは知っているし、香港映画だったらジャッキー・チェンとかは小さい時からテレビでたくさん放送していたから知っていたけど、自分から積極的に映画を観にいくという事が全く無かったんですね。

―ではこの『天使の涙』が初体験くらい?
村野:そうですね、初!
まぁ、あったとしたら、小さい時に観に行ったアイドル映画とかですね。でも映画が好きで観に行くとかではないじゃないですか、あくまでも目当てはアイドルで。
なので、この『天使の涙』から初めて映画ファンになったというか。
しかも何も知識が無いんですよ! ゼロからドドッとのめり込んでいった感じですね。
本当に何も知らない、ウォン・カーウァイも何も知らない所から、俳優さんとかも覚えていって。

―1つの作品からドンッと来たわけなんですね!
村野:人生を変えた映画ですね(笑)

―確かに変えられるほどのパワーはありましたね『天使の涙』には。『恋する惑星』よりも『天使の涙』ですよね、衝撃度は。
村野:うーん、オシャレ度と人気度では『恋する惑星』ですよね、圧倒的に。なんというか、"渋谷系"みたいな。こう、オシャレカルチャーの代表! みたいな所があったと思うんですけど(笑) 『天使の涙』から入ったというと、大抵「え?そこ?」って言われましたけどね、あの頃は。
それで当時は都内の単館系の劇場で特集上映をやっていたんですね、ウォン・カーウァイの過去作の。『欲望の翼』(90)とかそれこそ『恋する惑星』とか『楽園の瑕』(08)とか。
まとめて上映していたのでそれを渡り歩いて観ていました。

―じゃあ本当にきっかけの作品だったんですね。
村野:そうですね。あとは多分家から3時間位かかったんですけど(笑)、中野坂上のTSUTAYAに香港映画のビデオがいっぱいあったんですね。新宿のTSUTAYAも多かったんですけど、さらにその先の中野坂上の店舗が意外にラインナップ豊富で。
そこに通うようになって、イッキに借りてイッキに観てイッキに返しての繰り返しで。面白いのから「金返せ!」と思うような映画まで、ずっと観まくった感じで。

―借りていたのは主に香港映画ですか?
村野:そうですね、香港映画ばっかりですね。
今回はチョウ・ユンファ週間!とか、アンディ・ラウ週間!とか(笑)
そういう感じで毎日映画を観るようになりました。

そうそう、シネマライズといえば、1997年に『ブエノスアイレス』(97)が公開されたんですけど、それは初日に観に行きました。(1997年9月27日)
劇場の外の、あのスペイン坂の石段に並んで、満席の熱気の中で観ました。
立ち見だったと思います。
シネマライズは、私にとって香港映画と出会わせてくれた大切な劇場です。

(シネマライズは2016年1月7日に閉館)

(第2回につづく。次回はキネカ大森編!

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