【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.27】男にとって本当の女神とは、いったい?
自分の生涯において一体全体どのような女性を指してそのように呼ぶのであろうか。言わずもがなの女房ではなく訳ありの愛人でもなくましてや母親でもないとすれば誰であろうか。おそらく男にとってはずぅっと昔にさかのぼることになるだろう。幼少期か、思春期か、青春真っ只中か、そのころのナイーブでイノセントな心を満たした想い出に登場する女性がそれだろうか。時には純真な白いスイートピーのような下級生であり、時には浜辺にゆれるピンクのハマナスのような同級生であり、ふくよかな香りさえ優しさにあふれるユリのような姉の友達であったり、それは幼いながらも夢見た甘酸っぱい憧れだった。しかし本当の女神とはもっと官能という肉体の裡に花咲くものではないだろうか。秘密の扉への案内人。そう、女神にふさわしいのはミステリアスな初めての性へ誘う選ばれしひとなのだ。先のような身近にいる彼女らはあえて言えば女神の手前の子女神、思い出のつまった置物なのだ。女神は圧倒的にセクシーでなければならない。ゆえに現実ではありえないスクリーンに存在する。そしてそのひとは必ずといっていいくらい年上なのだ。身勝手な若者の恋を欲望のまま甘えさせるには年上でなくてはならない。ゆえに女神はさまざまな形をして現れる。『個人教授』ではナタリー・ドロンが中年レーサーの愛人として高校生ルノー・ベルレーの前にカウンタックに乗って現れる。『青い体験』ではラウラ・アントネッリがお手伝いさんに扮して現れ、そして肝いりの『課外授業』はあの元祖ロリータのキャロル・ベイカーがピアノ教師としてローマの音楽学校に赴任して来る。女性とピアノ、この情熱的な楽器は女性こそふさわしい。それにしてもこれら3人の濃厚さは!美しいだけじゃないその艶やかさは!女神と呼ぶ以外に何と讃えればいいのだろう。『課外授業』ではありとあらゆる歓びのテクニックが映し出される。それは花に吸い寄せられるミツバチのように少年が大人になる授業。母親の口紅を塗る少女ではなく、まだ蕾のような乳首を見せる少女ではなく、怪我をした血の出ている膝を舐めさせる少女ではなく、教室で薄物のブラウスを着てピアノを弾き、時にはスカートの下には何もはかない豊満な年上の先生じゃなくてはだめなのだ。女神は魅惑的な音を奏でる楽器を装い演奏者に生涯一度のわがままを許すのだ。男はスクリーンでの体験をいくつになっても追い求めているのかもしれない。

「課外授業」DVD情報
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「愛蔵版 欧州女優コレクション」公式HP
http://www.oushu-joyu.com/




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