• 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.46】「人間が本能を抑圧して現代文明が
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.45】「映画とは
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.44】「美が、肉体が、涙にうるんだ瞳が、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.43】「映画は女の芸術、女を美しく
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.42】「うつし世は夢、よるの
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.41】「明日の映画は日記のようなものに、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.40】「男のM化
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.39】「結婚しなくていい、でも私を・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.38】お尻丸出しの彼女を恥かしくて
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.37】「殺しやセックスや怒号の中に人間はいない。
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.36】「ベベは演技しない、ベベは・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.35】「男が何人もの愛人を持つと、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.34】「自分のやりたいことをやりたいように創るのは
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.33】今の人にとって高度成長なんて言ったって・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.32】「どうしてフランスの女はあんなに・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.31】1位はギリシャの164回、2位はブラジルの
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.30】「女の子は3度恋をする・・・最初は無我夢中で
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.29】「女と男ほど高貴なものはない。男と女、女と男、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.28】「オレがやるまではヌードグラビアってのは、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.27】男にとって本当の女神とは、いったい?
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.26】女優には二通りの型があるというのだ・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.25】「男に心から愛された経験をもつ女は・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.24】女は本能で愛するべきものだ
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.23】近頃の太陽族といえば、馬鹿のひとつ覚えで
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.22】服を着た女は慎み深いが服を脱いだ・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.21】お祭りの夜店で買ったハッカパイプ、、、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.20】人生はブーメランよ、したことは戻ってくるのよ
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.19】映画主題歌が2部門制覇!
  • 【映画紳士タモ 連載コラム VOL.18】「頼りにしてまっせ、おばはん」・・・不思議な男と女の相性とは
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.17】口は大きすぎるし、鼻は長すぎる・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.16】アルベール、アドルフ、アルド、アルフレ・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.15】時よ、止まれ、君はあまりにも美しい・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.14】世界一の美女はいつの時代でも変わらないぞ
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.13】忘れちゃいけないものがいっぱい
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.12】タイトルと女優の愛らしさは作品を2乗する
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.11】真知子巻きからヘップバーンカット
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.10】職人を突き抜けて芸術家になるんであって・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.9】決して一人では見ないでください
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.8】何も足さない 何も引かない・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.7】名匠は1コマ1コマに生きている
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.6】男の翳りを色濃くにじませ、
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.5】赤は赤でも夕陽の赤は何色?
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.4】暑いときこそ熱いものを・・・
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.3】「恐れているばかりの奴は・・・」
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.2】「忘却とは忘れ去ることなり」
  • 【ほぼ週刊 映画紳士タモ 連載コラム VOL.1】 話半分、面白半分。見よ、人生は過失なり。―
  • 2010年12月 1日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.46】「人間が本能を抑圧して現代文明が

    成り立っている。それが男の不幸だ!(フロイト)」とばかり映画『女性上位時代』は性の解放を唱えて突如として始まる。唱えているのは男ではなくあのカトリーヌ・スパーク。彼女はまさに肉体を張って主張する。
    なぜかって言えば彼女の死んだ夫が女友だちやさまざまな女たちと内緒で乱交を繰り広げていたのを知ったから。恋人に言えない秘密の数は現代L25ではないと答えたのは3割弱、3個以内が5割以上、10個以上と答えたのは1割強に昇る。いつの世にも男と女の間には淫靡な闇が潜んでるのだ。原題は「女性リーダー」だがこの邦題をつけたのが僕の尊敬する大先輩。さすがに上手い。
    先輩もそうだったが男はといえばこの時代、情けないくらいに弱い。特にエコノミック・アニマルといわれ始めた日本男子は仕事に疲れ果て元気な女性たちのセックス攻撃にはついてゆけない。

    20101201_01.jpg

    この映画が公開された60年代後半の日本では昭和元禄と呼ばれ女性たちがあらゆる所で強くなりミニスカートをはいてイエイエ族を気取り、ウーマンリブの狼煙を上げれば生活文化すべてに新しいものが、もちろん性先進国の流行までが凄まじい勢いで雪崩れ込んできた。そして嬉しいことにあのスパークまでもがSM世界に乱入したのだ。しかもこの映画のスパーク嬢は当年とって23歳、金持ちの未亡人の役だ。次から次へとエスカレートする変態妄想を実現するべく街に出る。身近な弁護士に誘惑されたように誘惑し、歯医者とは診察台で、テニスコーチとはシャワー室で、売春婦と間違われ行きずりの男とカーセックス、パーティで知り合ったドS男の過激ぶりに快感も新規開眼、したい放題の果てに発見した最高のセックスとは一体?。思い起こせばどこまでも愛らしいスパークの『太陽の下の18才』『狂ったバカンス』など熟す前の様子を知っていた僕らは充分大人になって、美しく可憐な表情の下に女のしたたかさを兼ね備えた魅力を画面いっぱいに全開している彼女の生まれたままの姿を観て感動以外の心の爆発を禁じえないのだ。

    20101201_02.jpg

    僕は想う、この映画は監督はもちろん絶大なるスパーク・ファンのスタッフによって作られたに違いないと。監督は『山猫』などヴィスコンティ作品の名脚本家パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、音楽は『黄金の七人』のアルマンド・トロヴァヨーリといったイタリア映画界の錚々たる面々だが皆が皆スパークが大好きなのが手に取るように分かる。あ々、どこまでも明るいイタリア野郎に乾杯!露出もいつもより張り切ってサービスしてくれたスパークに永遠なるディーヴァの称号を!貴女なら女性上位で当たり前、まさに誰一人侵すことならぬ神聖スパーク帝国そのものなのだ。

    20101201_03.jpg


    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「女性上位時代 [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S940


    2010年10月13日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.45】「映画とは

    女と銃だ」と言ったのはD.W.グリフィスだった。この映画草創期に出現した巨人は16歳からのリリアン・ギッシュをヒロインにいくつもの映画的技法を編み出している。反射板を使っての逆光に浮かび上がるショットやフラッシュ・バックなどである。中でもクローズアップはリリアンの美しさに魅せられるがままキャメラを近づけてしまったという伝説に彩られるほど監督と女優の関係は一途に恋愛映画的だ。それは現在に至るまで名匠の陰に女優あり、あるいはその逆があり、名作と呼ばれるものにはどちらも欠かせることはできない。どこか夢を見ているようなノスタルジックなストーリーをいつものように流麗な映像で描く当代の恋愛魔術師パトリス・ルコントが1958年という特異な時代を美女サンドラ・マジャーニと共に切り取ったのが『イヴォンヌの香り』だ。

    20101013_01.jpg

    58年は世界中ですべてが新しく生まれ変わって行く記念すべき年である。既成の価値観やモラルに反撥する怒れる若者たちは政治に文化に恐れることなく自分自身をぶつけていった。フランスではアルジェリア駐留軍の反乱をきっかけにドゴール内閣による第五共和制が発足した。激しく揺れ動く時代を底に敷いてこのドラマはアルジェへの徴兵を逃れさすらう若者と金持ちの老ゲイ、その若く美しい女友だちイヴォンヌとのひと夏の邂逅と別れを描く。人生を四季に喩えるならこれから訪れる秋、そして冬を恐れる3人はこのひと時、時を止めて生きている。若者のあたかも世捨て人のような姿、誰からも何も求められなくなった老ゲイ、その中でただ一人生きることを謳歌しているように見えたイヴォンヌでさえ新しい変化に興味を示さない。イヴォンヌの生きている証を、その残り香を永遠に閉じ込めておきたい。サンドラ・マジャーニはオランダのモデル出身、さまざまなキャメラワークで写し出される人形のような身体の部分の描写一つ一つに監督はこだわる。

    20101013_02.jpg

    とりわけ記憶の彼方から蘇える白いロングスカートの中のその無防備なお尻であり、テーブルの下のふくらはぎに触れること、覗き見ることはこの作品1本だけで女優を捨てたマジャーニへの思慕しか表せない秘事といえよう。静謐なほとんど会話なしで進められる時間、その間を埋めるマジャーニのお尻とふくらはぎはこれほど想像力を掻き立てるものはない。湖面を揺らす風は青春の思い出をいつの時代でも垣間見ることは出来る。監督は風のような映画を風に相応しい女優と共に創りたかったに違いない。リリアン・ギッシュはかつて言った。「映画はサイレントに戻るべきです。言葉があるから世界は理解しあえないのです」。

    20101013_03.jpg


    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「イヴォンヌの香り [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S939


    2010年9月24日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.44】「美が、肉体が、涙にうるんだ瞳が、

    愛する女のきめのこまかい肌の感触が映画のすべてなのだ」とトリュフォーが敬愛したフランス映画の巨匠ジャン・ルノワ-ルが言ったように映画における女優の力は信じがたいほど大きいものだ。映画の世界ではほとんど無名の新人だった女性が一本の映画を自分のものにしてしまうことも不思議なことではない。40数年前に起こった『あの胸にもういちど』のマリアンヌ・フェイスフルにも言える。その年の暮れ、東京・日比谷映画で公開されたいわゆる正月興行作品とされる映画だ。劇場興行者は多くの候補の中からそれを選び、配給会社はそれなりに宣伝費も使った。映画の売りはもちろん主演のアラン・ドロンだ。詩人の富岡多恵子さんが日本人の男の魂をもつと評し、永遠の恋人とまで言った当時人気一番の男優である。しかもそのドロン(ちなみに富岡さんはアランと呼ぶ)の素っ裸のラブシーンが早くもファンの好奇心をくすぐっていたし、翌年にはすでに別れていたナタリー・ドロンの初主演作『個人教授』もあり話題には事欠かなかった。

    20100924_01.jpg

    映画は当たった。しかし映画はイギリスのアイドル歌手であるマリアンヌのあどけない姿態に秘められた女の成熟した性の渇望に満ちていた。僕は彼女の「This Little Bird」という歌が大好きで、サイケデリックで淫蕩な時代にその清純で繊細な歌い声にしびれていた。その彼女がオールヌードでハーレーに跨るのだ。黒革のバイクスーツで全身を包んでいるとはいえ、それはもう僕にとっては全裸と言ってよい。多分にそんなギャップが映画をヒットにつなげたんだろう。愛人に逢うため国境を越えひたすらバイクに乗り続ける女レベッカは生々しいマリアンヌ自身だった。まさにマリアンヌのために作られたといってもよかった。ハーレーは男性そのものであり、排気音のリズムはドラッグの高揚感を煽った。予想外の敗北を喫したドロンはいまにして思えばこの頃が役者としても頂点だったのではないかともいえる。

    結果、映画で夢と現実を行き来したマリアンヌは60年代という激流に呑み込まれて行ってしまった。僕はいまこの時代をライブで通過してきて本当に良かったと思っている。そこには映画はもちろん科学、音楽、文化全般といったものが次から次へと新しく生み出されていた。マリアンヌが道端に消え、復活を遂げるのはそれから30数年経っていた。彼女は何を見て、何を聞いて過ごしていたんだろう。今また歌いだした彼女の声に、演技に情熱と忍耐を併せ持った真の女の姿を見せられたような気がする。


    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「あの胸にもういちど[HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S938


    2010年9月 6日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.43】「映画は女の芸術、女を美しく

    見せる芸術なのだ」とフランソワ・トリュフォーは極言する。確かにフランス映画の多くはトリュフォー生涯のテーマであった愛と死を描いては、そこには必ず美しい女がいる。しかもそれらが時代時代でスタイルや手法が変わってゆく。あのヌーヴェル・ヴァーグでさえも何年かすると実はかなり曖昧でそれほど新しくない等と揶揄される。だがヌーヴェル・ヴァーグはひとつの交代の時であったことは確かで68年の五月革命を経てポンピドゥー、ジスカールデスタン、ミッテランといった大統領の下で大勢の監督が育ち、新たなヴァーグが次から次へ起こっていったのだ。それは現在も変わらない。

    サロメ.jpg

    ロジェ・ヴァディムが先駆者となったタブーへの挑戦から生まれたバルドー神話、その自由で挑発的なセックス描写に世界は眼を見張った。そして衝撃だったのはジスカールデスタンのポルノ解禁だったろう。あのカンヌ映画祭もハードコアの洪水であった。ゴダールは「いまやベルトの上の映画と下の映画があるわけだが自分は中庸の映画を撮りたい。さしあたり今ベルトを締めなおしている」と語ったというが・・・。そこで登場するのがXマークでのポルノ規制で80年代になるとポルノ動員数は映画観客全体の5%となってしまった。しかしフランス映画は有為転変を繰り返しながら83年には観客動員数は67年以来初めて2億人を超えるという快挙を成し遂げたのだ。

    サロメ2.jpg

    その円熟期に公開されたのが『サロメの季節』である。サロメというのは邦題であり、新約聖書にある洗礼者ヨハネの生首を求めたという王女の名だが、ここでは妖艶な少女の悪魔性に喩えシュールな官能サスペンスを暗示している。母親と南仏にヴァカンスにやってきている18歳のクリス。2年前には母の知り合いでもある男との火遊びから妊娠もしている。その主題、その自由主義とも呼ばれる表現。それにしても欧米の女性は裸になったときどこを最初に隠すかといった質問にオッパイと答えていたはずだが84年、この露出ぶりは凄まじい。だが怖いものなしの奔放さは悲劇を呼ぶ。セックス三昧の大人の男たちへの怨みをこめて完全犯罪を企むクリス。そしてターゲットは母親の愛人であるジゴロへ。『勝手にしやがれ』を原作とした『ブレスレス』でまさにアメリカン・ジゴロを絵に描いたようなリチャード・ギアを相手にデビューした美少女ヴァレリー・カプリスキーが伝統のファムファタールを演じ切る。時代は常に魅力的なスターと新しいフランス映画を生み出している。そして生まれるものあれば去るものもある。この年、誰よりも映画を愛し、女を美しく見せたトリュフォーが52歳という若さで早すぎた死を迎えた。

    サロメ3.jpg

    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「サロメの季節 [デジタル・リマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S937


    2010年8月24日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.42】「うつし世は夢、よるの

    夢こそまこと」とは江戸川乱歩の座右の銘だが、この言葉の元となったのは本家エドガー・アラン・ポーの詩の一節"A Dream Within A Dream"から採ったものだという。神よ、私たちが見、あるいは感じるすべては夢の中の夢でしかないのですか?と問いかけるポー。それは凍てついたボルチモアの路上に倒れた40年の儚かった人生のまさに絶唱ともいえる詩だった。推理小説の産みの親とも呼ばれるポーの原作になる映画は多いがそれらはホラーものとしても有名だ。中でも名作中の名作と圧倒的な評価の高さで知られるのが『世にも怪奇な物語』だろう。これはまたフランス・イタリア合作として3人の巨匠によるオムニバス形式になっていることでも話題を呼んだからだ。ロジェ・ヴァディムの『黒馬の哭く館』、ルイ・マルの『影を殺した男』、フェリーニの『悪魔の首飾り』である。この錚々たる監督たちが恐怖という美をまとい、生と死の間をさまよい、愛と憎しみに苛まれる人間の儚い夢を描くといったまさにポーに憑かれたような真剣勝負に臨んだのだ。

    このオムニバス映画はまた華やかな女優対決といっても良い。ヴァディムの作品には当時の愛妻ジェーン・フォンダが『バーバレラ』で魅せた半裸体コスチュームで馬に乗りまくって、その悩ましさは中世という時代設定もあって背徳の匂いがぷんぷんするようだ。これを撮った直後『イージー・ライダー』を製作した実弟ピーター・フォンダとの最初で最後の共演も見もの(実際ロケ中、姉弟は非常に仲が悪くヴァディムも困ったようだが)。

    20100824_01.jpg

    バルドーはと言えば、オムニバス映画について以前『素晴らしき恋人たち』の時に「出番が少なく出演者がたくさんいる中で目立つのは競争相手のいない役を上手く演じるよりもはるかに難しい」と語っている。ルイ・マルとは『私生活』以来だった。その時はバルドーから申し出た出演だったが今回は原作にない役をもらい、アラン・ドロンとの白熱のSMバトルを展開する。だがドロンとの共演はしっくりいかなかったし、大きな黒髪の鬘をつけさせられてルイには少々お冠だったという。しかし反ってそれが作品に狂気を植えつけたのだからこれこそポーの魔力かもしれない。

    そして女優対決を制し、観た者が決して忘れられないのが実は名も無き美少女だった。昔から悪魔とは黒い影を背負った男という発想だったが、フェリーニは初めて金髪の真っ白なドレスを着た瞳の大きな悪魔を創り出した。白い鞠を転がし闇に浮かぶ白い顔が微笑む時、誰かが魂を抜き取られる。ポーが見た夢、フェリーニこそ最高の伝道師であった。

    20100824_02.jpg


    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「世にも怪奇な物語 [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S936


    2010年8月12日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.41】「明日の映画は日記のようなものに、

    愛の行為と同じように親密で官能的なものになるだろう」とトリュフォーはヌーヴェル・ヴァーグに対する思いを書いている(山田宏一・わがフランス映画誌)。その頃、ロジェ・ヴァディムもその仲間として作家主義に根ざした『素直な悪女』をものにした。ヌーヴェル・ヴァーグは新しいスタイルを多く生み出しているがトリュフォーと同じにフランス映画の伝統に囚われなかったヴァディムの役割はまた大きかったといえよう。

    彼は2作目に『大運河』を選んだ。ここで光るのはジャズをいち早く取り入れたことだ。ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』よりも早かった。片やジョン・ルイス率いるMJQだし、もう一つはマイルス・デイヴィスの奇跡的な即興演奏で知られている。これらが斬新な映像と相まって個性みなぎる作品を世に送り出していった。そのヴァディムの長編3作目は初の海外ロケを敢行したシリアスなメロドラマであった。

    20100812_01.jpg

    『月夜の宝石』。スペインの山村を支配する貴族と暮らす叔母を訊ねてきた純真な娘が貴族に復讐を挑む男と恋に落ちる。だが叔母もまた男を愛していた。男は叔母に会いに行った夜、ついに貴族を殺してしまう。追われる男を助けた娘が選んだのは命を賭けた逃避行だった。『殿方ご免遊ばせ』で大ヒットを飛ばし早くも絶頂期を迎えていたバルドーが古典的とも思われるドラマにどう挑むか、共演は妖艶なアリダ・ヴァリとイギリスの国際俳優スティーヴン・ボイドという芸達者たち。荒涼たる山間の地をさすらう二人をヴァディムはドキュメンタリータッチで追い続けることで新感覚の悲劇を創造した。ヴァディムにあってはヌーヴェル・ヴァーグとはバルドーの存在そのものだったといえる。

    20100812_02.jpg

    現実には愛するジャン・ルイ・トランティニャンと離れてスペインでの長期ロケをするバルドーには常に不安と絶望が襲う。ヴァディムは妙案を思いついた。それは毎週日曜日にジャン・ルイと会えるようにパリ=マドリード間の往復航空券をプレゼントするよう会社を説き伏せたのだ。飛行機処女のバルドーも愛のためならと4ヶ月、土曜日の夜に発ち月曜日の朝には撮影に戻る生活。なんとか持ちこたえていたバルドーだが後半の撮影中に凄まじい嵐に遭遇した。それこそ水も食べ物もない状況を乗り越え、やっとのことで帰国した後、残りのシーンはニースで撮影された。

    予定をオーバーして完成した『月夜の宝石』はバルドー自身を変えてしまう二つの事柄をもたらした。一つはこの時から生涯にわたって続く犬や他の動物たちへの限りない愛護活動、そしてもう一つは男と女が傷つけあうことで深い絆に目覚めてゆくことは映画の中の出来事であるということ。なぜならこの映画の完成とともにあれだけ愛したジャン・ルイを失ったのだから。

    20100812_03.jpg


    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「月夜の宝石[HDニューマスター版]商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S935


    2010年7月29日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.40】「男のM化

    がどんどんと進行中だ。テレビをつければニューハーフだとか明らかにそれと分かる人たちが何だかだとせせこましく喋っている。何が悪いって言うわけじゃぁないのだけど彼等の個性の強いことと言ったら大阪のオカンも及ばない。それは多分生殖力を捨てたため芽生えた生命力なのだろう。それに引き換え男のフェロモンを出して男っぽさを強調することはもはや少数意見的変人扱い化されてしまっている。

    昔はSM志望の男は皆Sに群がってきたのに今はどうやら逆転しているらしい。何と言っても日本人の夫婦は7割がセックスレスという衝撃的数字。性欲の減退、それに代わるヴァーチャル嗜好の膨張とAKB的オタクの拡大。恐ろしいことに共立女子大の鹿島茂教授の唱えるおままごとボーイ=オス衰弱説の正当性が日に日に高くなっている。

    20100729_01.jpg

    その衝撃は今から36年前のことだった。突如日本征服してしまった映画『流されて...』が公開された当時はどうだったろう。まだまだ男はオスとして強いパワーを発揮していたのかどうか。正に男の復権、女の服従を堂々とテーマにした映画がイタリアからやって来たのだから最高のタイミングで大ヒットとなった。この年公開された『エマニエル夫人』とともに実はその要因として映像がきれいだったとか男たちが失って久しい弱肉強食ストーリーなどの話題もあるが、何よりも若い女性が劇場にどっと詰め掛けたことがあげられる。今までは観たくても観られなかった女性に勇気を与えた映画だったのだ。

    夏のバカンスで地中海ヨットクルーズを楽しむお金持ち夫婦の仲間たち。中でも一際わがままで気位の高いラファエラが下働きのジェナリーノに無茶を言ってボート遊びに出るがエンジンが壊れ漂流してしまう。見つけたのは無人島、そこで二人は原始共同生活を営むことになる。そうなれば強いのは男、今まで命令ばかりしていたラファエラは真逆の立場に。ジェナリーノはここぞとばかり責めまくる。やがて二人はSM反作用で究極の恋人同士になるがクライマックスはさらなるどんでん返しが待っていた。

    20100729_02.jpg

    今を見据えたような内容もさることながらフェリーニの助監督を務めたリナ・ウエルトミューラーの女性ならではの視点と芸術性。前年に公開されたリリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』もヴィスコンティ命の女流監督だった。この頃からわが国でも第1次オイルショックがもたらしたオバンパワーを筆頭に田中内閣が倒れ長島茂雄が引退するなどタフな男が去り、世の中の風俗リーダーは確実にS化した女王様時代に移行していったのである。

    20100729_03.jpg

    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「流されて...  [デジタル・リマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S934


    2010年7月20日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.39】「結婚しなくていい、でも私を・・・

    抱いてほしい」ってブリジットはこの映画の中で言う。こんなセリフを言わせたのはミシェル・ボワロン監督。フランス映画の巨匠中の巨匠ルネ・クレールの門下生だったが、軽妙洒脱なシャンパン・コメディを撮らせたらこの人を置いてないだろう。

    実際『殿方ご免遊ばせ』が公開された頃はその後のフランス映画を決定づけたヌーヴェルヴァーグがスクリーンを占有するかのごとき勢いであったが、そんな小難しい理屈はともかく映画は面白ければいいんだとばかり打って出た感がする。いわゆる職人だ。日活の中平康に倣ったヌーヴェルヴァーグの連中よりもちょっと後の東宝の古沢憲吾作品を見るようだ。

    ノリノリのジャズで始まり、当時のわが国の一般庶民にとっては高嶺の花だった快適そうなマンションに住み、大きな冷蔵庫から牛乳ビンごと丸呑みするといったアメリカ映画張りの生活やスリリングでゴージャスな展開だったりが観るものを飽きさせないのだ。

    20100720_01.jpg

    特にバルドーの扱い方の上手さは他の監督より群を抜いている。それはバルドー自身が自伝でこの作品を自慢できる映画の一つに挙げていることからも分かる。深紅のパーティドレス、ウエディングドレス、飛行服、ニースでのビキニ水着などなど、これでもかというカラフルなファッション。勝気なパリジェンヌが世の男性憧れのキッチン・スタイルであるエプロンとシャツだけでマンボを踊り、バスタオル1枚で新婚のベッドですねる所作の愛らしさと言ったら。

    ボワロン監督はデビュー作『この神聖なお転婆娘』と『気分を出してもう一度』と3本の"ブリジットもの"(山田宏一氏はこう括っている)を撮っているが地のままの彼女を描くことで艶やかなコメディエンヌの才能も引き出している。だからルイ・マルやジャン・リュック・ゴダール作品での演技然とした彼女よりこのボワロン監督のものが僕は大好きだ。

    相手役も"スクリーンの恋人"と言われガルボ、バーグマンと40年代にアメリカ中の人々の涙を搾ったシャルル・ボワイエという絶妙な配役。バルドーもついにここまで来たかと納得させられるが秀逸なのはすべての観客に屈託のない微笑を浮かべて愛のさざなみを送ってくれるラストシーンだろう。"女"を描く、それもその女の最高の魅力を。これが監督の腕だ。このラストを観て世界中の男どもがどれだけ幸せな気持ちになっただろう。

    12年後、僕が配給会社の就職試験を受けたときの映画が『個人教授』であった。ミシェル・ボワロン監督の熟達した手腕は会社には大ヒットを、僕には合格という喜びをプレゼントしてくれた。

    20100720_02.jpg

    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「殿方ご免遊ばせ  [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S933

    20100720_03.jpg


    2010年7月 7日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.38】お尻丸出しの彼女を恥かしくて

    最後まで観ていられなかったとゲーリー・クーパーは言ったという。
    彼女とはBBのことだ。確かにあの頃の僕らは日本人のキスシーンなどはもちろん、思い出してみても近所の映画館の看板に貼られていた『くちずけ』のポスターでも見るのをためらったほど。だからバルドーが出てきた時の衝撃はクーパーでなくとも尋常ではなかったと思う。
    バルドーの初めてのヌードシーンは『わたしは夜を憎む』だったが、有名な後ろ姿は代役でしかも本人があれはお尻が垂れていたといって文句を言ってる。見えそうで見えない、観客から言えばこんな面白くない状況はなかったのだが今思えば限りなく想像に満ちた創造的なアートを各自思い描いていたんだと思う。
    その頃のバルドーの見せそうで見せない最高傑作が『裸で御免なさい』だろう。
    何しろこの映画の中で彼女はストリップをやることになってしまうのだから。しかしそれに触れる前に言っておかなくてはいけないことがある。
    映画の冒頭で彼女が薄手のセーターにマンボズボンで登場してくるのだが、この体にピチッとくっついたマンボズボンの懐かしさはともかく、そのウエストに注目して欲しい。
    僕はこの歳になってもこんな可憐な腰つきに出会ったことがない。
    そう、日本では柳腰という細くしなやかで色っぽい様。一体何cmだったのだろう。
    答えは後半のストリップ・コンテストで明らかにされる。作家志望の彼女は書いたものが余りにセンセーショナルだったために頭の固い父親から勘当されてしまい、単身パリで成功していると信じていた兄を訪ねてくる。そこで兄のものと勘違いしたバルザックの初版本を売ってしまい、そのお金を返却するためにストリップ・コンテストに出場するはめになるというストーリー。
    見せ場は当然BBのストリップだ。最近でこそあまり巷で聞かなくなったけれど僕の生まれ育った横浜には今でも専門劇場がある。初めてショウを観たのは60年代初め、家の近くの映画館の正月興行だった。確か500円均一だった。まだ全スト全開の関西ストリップが東上していなかったがそれでもそれはそれで強烈だった。
    この映画を観るとその何年も前にフランスでは全ストが当たり前だったんだなぁって妙な感慨に陥る。
    バルドーは金髪のショート・ウィッグと仮面で顔を隠し踊る。1枚脱いではまた1枚といや、そのそそる仕草と言ったら!これは一見以上の価値だ。
    ところでここで彼女のサイズを明らかにしよう。身長166、W50、H88、B90、何とウエストは50cmですぞ!これがどんなにスゴイ数字かどうか娘さんに訊いて下さいね。

    20100707_01.jpg

    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「裸で御免なさい  [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S932


    2010年6月29日

    【ほぼ週刊 映画紳士タモ コラム VOL.37】「殺しやセックスや怒号の中に人間はいない。

    人間はもっと静かな、落ち着いた、変化もなくつづく毎日の中に生きている」とキネマ旬報誌の中で語ったのは小津安二郎だった。ややもすれば単調になるかもしれない、平々凡々とした日常の生活を生きる人間を撮ることで自分の映画美学を貫き通した名匠がたどり着いた境地だ。ある意味、分かりやすさというのは表現の上では芸術とはもっとも遠いものとして認知されているが、人間を描く上でもっとも難しいものではないだろうか。それも内面を描くには深い情感とか言葉とかをどのように表すかが大事になってくる。誇張や虚実ではない人間の断片を拾い集め、単純のようで豊かさに満ちている小津作品に通じるのが、ジェームズ・アイヴォリー監督の一連のエドワード・M・フォースターものではないだろうか。フォースター原作の舞台である20世紀初頭のイギリスの中上流階級の人々の自然な姿をみつめた『眺めのいい部屋』を観ればよく分かる。西海岸生まれのアメリカ人がなぜこんなにイギリスに惹かれるのだろうか。ロンドンでなく田舎での格式ばった時代の香り、旅、音楽、テニス、ピクニックやらの普通の日々を通じて語られる母や従姉妹や家族の絆、そして繊細なタッチで描かれる女と男の愛の駆け引き。階級や差別を乗り越えて空気感染する性への目覚め。映画の中で世話のいい牧師は言う、「ピアノを弾くように人生を生きたら、素晴らしい人生を送れるでしょう」と。新しいものへの憧れと伝統に培われた深い精神を土台に生きる人々に強い吸引力があったのだ。それにしても撮影当時19歳だった可憐なヘレナ・ボナム・カーターに美系男子ジュリアン・サンズがする2度の激突キッスの威力。さして美人とは言えないが曽祖父はイギリス首相という紛れもない正真正銘のレディというヘレナのそこはかとない麗しさが労働者階級の男の強引な求愛行動に徐々に時間をかけながら色めいてくる。森の中で、テニスコートで男は愛を行動で告白する。因習を解くほどの奇襲攻撃の勝ち。さまざまなことで縛られていたヘレナが自らその縄を解いてゆく。イギリスのいつの世にも変らない田舎の空気の中で一人の人間として女として愛に生きることを選んだ若い娘の成長の物語である。愛し愛されるという一見簡単なことのように思えることが実は何とも難しいことか、でもそれが一番重要なことだと教えてくれている。最近の日本の女性100人へのアンケートでは男からの告白経験のあるのは平均7.7回もあるらしい。逆に告白経験は平均1.6回という。見栄っ張りの女性がどうやら増殖しているようだ。

    20100629_01.jpg

    「愛蔵版 欧州女優コレクション」
    http://www.oushu-joyu.com/

    「眺めのいい部屋  [HDニューマスター版]」商品情報
    http://shop.cinemart.co.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=OPSD-S931