キリマンジャロ

イントロダクション&ストーリー

銃声と床を流れる大量の血。自分の娘を撃ち殺したヘチョルは自分と容姿が瓜二つの双子の兄ヘシクの前で拳銃自殺する。ヤクザな生活を送っていたヘチョルが使用した銃は刑事であるヘシクのもの。ヘシクはその責任を問われ失職してしまう。兄の妻から遺骨を強引に奪い取り、故郷の町へと戻ったヘシクは全く知らないヤクザに拉致され、暴行を受け、ポンゲという男に助けられる。それはヤクザもポンゲもヘシクのことをヘチョルと思い込んでいたから起こったのだった。こうしてヘシクは自分の目の前で自殺したヘチョルの人生に巻き込まれていく。

刑事として真っ当に生きてきたヘシクはヤクザな生き方をしてきたヘチョルのことを徹底的に嫌っている。それは「子供を病院に連れて行く金がないから貸してくれ」と頭を下げられてても拒絶するほど強固なものだ。しかし、弟が実際に自分の目の前でいなくなり、刑事の仕事を失職するとヘシクの気持ちは大きく揺れ始めていく。そして、兄とその娘の遺骨を手に故郷の町へと宛もなく戻っていく。

故郷の町で彼を待っていたのはヘチョルに恨みを抱くヤクザたちとヘチョルのことを弟分として愛するポンゲという男だった。ヤクザに拉致暴行を受けたヘシクはポンゲに助けられる。ポンゲはその引き換え条件として、刺身料理屋を開くための開店資金をヤクザに渡してしまう。それもこれも誰もがヘシクのことをヘチョルとしか思っていなかったから起こったことだった。

こうした状況の中、ヘシクはこの故郷の町を逃げ出したであろうヘチョルの人生を体感していく。愛した女の前から姿を消し、寝たきりの祖母のために定期的に金を渡し、敵も多かったが、信頼も獲得していた男・・・・、そこにあったのは後悔の念だろう。ヘシクの妻が遺骨を強引に奪い取ったヘシクに投げつけた「似ているのは顔だけね」という言葉も突き刺さってくる。そして、この街でヘシクはヘチョルになりきり、兄貴分のポンゲやその仲間たちと付き合っていく。

海岸で酒を飲んだり、サッカーに興じたり、嫌いなヤクザの車を傷つけたりなど、明日への展望などどこにもないのに、時に子供のようにはしゃぎながら、ヘシクとポンゲたちは日々を過ごしていく。刺身料理屋の開業資金が消えたことに仲間たちの不満も湧き上がるが「ヘチョルがなんとかしてくれる」とポンゲはそこに何か確実な希望があるかのように片付ける。この時間が遅れてやってきた青春のようなひと時、希望もない、向かっていくところは決まっている中に生まれた子供のようになれるひと時であることを彼らは分かっていたのかもしれない。そこにずっと漂っているのはポンゲとヘチョルの絆の強さ、こうした人生への後悔、懺悔の気持ちだ。

コラム・見どころ

ヘシクはヘチョルへの懺悔の念と大嫌いだからこそ生じてくる愛情を抱いている。ポンゲはヘチョルに対して埋め合わせたくても埋め合わせられない懺悔の念を抱いている。それは償いたくても絶対に償えないものである。人生の真っ当な軌道を外れてしまったヤクザ者たちの物語であるがゆえに“ノワール”というレッテルが前面に押し出されるだろうが、どうあろうが断ち切ることのできない濃密な絆を描いた物語とした方がしっくりくる作品だ。

ヘシクとヘチョルの2役を演じるのはドラマ「パリの恋人」で多くのファンを獲得しているパク・シニャン。演技派俳優としても知られるパク・シニャンだが、この作品でもヘシクにヘチョルが乗り移っていくかのように変貌していく様などを見事に演じきっている。ヘチョルの兄貴分であるポンゲを演じるのは『墨攻』が印象的だった韓国の国民的俳優アン・ソンギ。監督は作品が監督デビュー作となるオ・ウンスク。オ・ウンスクは日本でリメイクもされた大ヒット作『八月のクリスマス』の脚本家であり、その作品の監督であるホ・ジノがこの作品には脚本として関わっている。タイトルの『キリマンジャロ』は劇中でヘシクとポンゲが口ずさむチョ・ヨンピルのヒット曲「キリマンジャロの豹」から取られている。

北野武監督の『ソナチネ』と比較された作品だというが、だらんとした日常と緊迫感の対比や落差、目の前に漂っている“死”という現実、独特の色気のある映像には確かにそういった匂いを感じることができる。あまりにもあっけなく、衝撃的なエンディングのインパクトも絶大だ。パク・シニャンのファンはもちろんだが、そういった部分はより男性に訴えるものがあるはずだ。

キャスト・スタッフ

出演:
パク・シニャン/アン・ソンギ/チョン・ウンピョ/キム・スンチョル
監督:
オ・スンウク
脚本:
ホ・ジノ/オ・スンウク
製作:
チャ・スンジェ
音楽:
チョ・ソンウ
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