孔雀 -我が家の風景-

イントロダクション&ストーリー

作品はベランダの小さなテーブルを身体を丸めるように囲みながら食事をする家族の風景に「あの頃が家族にとって最も幸せだった」というナレーションが被り、始まっていく(その声は次男のものである)。物語はカオ一家の子供たちの3人のそれぞれのパートで綴られていく。その内容はナレーションで語られる幸せな風景から始まる成長の物語であり、親という旧世代と子という新世代の衝突、この家族、田舎町を抜け出そうという葛藤の物語でもある。作品は長女の物語から始まり、あのベランダでの食事の風景へと戻り、長男、次男と続いていく。それぞれの物語は交差しながら、それぞれが喜びや苦味を味わった数年という時間を経て、交わりをみせる。

長女のウェイホンは保育所で働いていたが、子供を床に落としてしまいその職を失う。彼女は落下傘部隊が地上に舞い降りてくるのを見て、舞い降りた地点にいた青年に一目惚れし、その部隊に志願するが、結果は不合格。そこから持って行き場のない気持ちを抱えてしまう。長男のウェイクオは生まれたときの病気が原因で精神的な障害を持っていた。そんなウェイクオは同級生からはいいように使われ、両親からは守られるような愛情を受けている。でも、子供のような性格の彼はそうしたことを気にしない。そんな彼にも家を離れなければならない日が近づいてくる。次男のウェイチャンは父親から大きな期待をかけられていたが、ある出来事から家を飛び出し、行方が分からない状況となってしまう。

「あの頃が家族にとって最も幸せだった」というナレーションで映し出される食事の風景の向こう側にある、映し出されない現実とそれが向かう先。やって来る冬の準備のために家族で練炭作りをしている光景、保存食としてピータンを作っている光景、過保護なくらい大事にされる兄への妹と弟の嫉妬、親が子供たちに抱く、過度な期待・・・・。時代、風習は違えども、そこにあるのは家族の風景である。そして、どこの国でもそうだろうが、田舎町に暮らす子供は無理をしてでも親元を離れ、時には辛酸をなめ、妥協を知りながら成長していきて、残された親はその田舎町を離れずにただ老いていく。

コラム・見どころ

舞台は1977年、嵐のような文化大革命が終わり、自由主義への幕が開け始めていた中国。しかし、普通の人々はそうした激動の波とは関係なく、生活を続けていた。この田舎町で暮らす、両親と長男のウェイクオ、長女のウェイホン、次男のウェイチャンというカオ一家もそうした普通の家族だった。彼らは集合住宅に暮らし、食事はベランダに置かれた小さなテーブルで皆が集まってとる。どこにでもある普通の暮らしだが、その暮らしは時代の変化の影響、子供たちの成長を受け、徐々に変わり始めていく。

監督はこの作品が監督デビュー作となるクー・チャンウェイ。チェン・カイコー監督『さらば、わが愛/覇王別姫』、チャン・イーモウ監督『紅いコーリャン』、ジャン・ウェン監督『鬼が来た』などの撮影を担当してきた中国映画界を代表する撮影監督である。彼自身は裏方に徹したいというタイプではなく、ずっと監督を、自分の作品を撮ることを熱望きたという。その気持ちに応える様に、この待望の監督デビュー作はいきなり、ベルリン国際映画祭の審査員特別賞、銀熊賞を受賞するなど、世界中から絶賛を持って迎え入れられている。今後も撮影監督は続けていくようだが、監督としての手腕にも大きく注目すべき人物である。

監督自身が最も拘った田舎町のロケーション、そこを捉える映像の美しさは圧倒的であるし(彼が撮影を担当しているのではないが、さすがに中国映画界を代表する撮影監督だと感じる)、親と子の関係、初めての恋、反抗など成長という過程で誰もが経験するものも上手く取り込まれている。数年という期間に辛酸や妥協を味わいながら、成長していく3兄弟はそれぞれの結果を伴って、両親の暮らすあの家に戻ってくる。中国人でなくても、ここにあるテーマにはすでになくなってしまった時間に対する郷愁を抱くはずだ。ただ、国を挙げての成長の過程にある中国に暮らす人々にとってはその気持ちは更に強烈なのではないだろうか。しかし、その気持ちはこの時間を懐かしむのではなく、この時間を経過し、苦味を伴いながらも更に素晴らしい時代に向かっていくのだというものに満ちている気がする。そこにこの作品の持つ強さを感じる。役者、映像、物語り共に圧倒的な素晴らしさを持ったドラマだ。

キャスト・スタッフ

出演:
チャン・チンチュー/ファン・リー/ルゥ・ユウライ
監督:
クー・チャンウェイ
脚本:
リー・チャン
プロデューサー:
ドン・ピン
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