『武士の一分』

イントロダクション&ストーリー

米三十石の下級武士である三村新之丞。彼は美しい妻、父親の代から家の雑務をしてくれる男と平穏な日々を送っていたが、ひとつだけ大きな不満を抱えていた。それは城主の食事の毒見役という自分の職務だった。そんな職務を辞め、出来るだけ早く隠居し、身分に関係なく子供たちに剣術を教えたいというのが彼の夢であった。

ある日、思わぬ出来事が三村を襲う。毒見の際、彼は何らかの毒に当たり、倒れてしまうのだ。その毒は何者かが毒を仕込んだのではなく、食材に含まれていたものだと判明するが、彼は数日間、寝込み続ける。そして意識を回復したとき、彼は目が見えなくなっていた。

コラム・見どころ

この作品は『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続き、日本映画界を代表する巨匠 山田洋次が描く、時代小説の大家 藤沢周平の世界の三部作最終章である。もう誰もが確信しているであろうが、この中央から離れた地方につつましく暮らす武士を描いた世界は三部作とはいえ、山田洋二監督にとって、寅さんを主人公とした『男はつらいよ』シリーズと同様、ライフワークになるのだろう。寅さんの世界が“実際にどこかにあった理想”を描いているように、これらの武士の生活も同じものを描いている。江戸時代、決闘を描いていようが、そうした山田洋次監督的な世界に揺れはない。

“実際にどこかにあった理想”とは生きる上で最低限忘れてはいけない部分のあった世界だと思う。今の時代はそうしたものを失ってしまっているのだ。寅さんはジタバタしているが守るべき礼節を持っている。山田洋次監督が描く藤沢周平作品の武士もそういうものを持っている。山田洋次監督はこの作品について「ぼくたちは江戸時代の地方の藩で静かに生きていた先祖たちの姿を敬意を込めて描く、ということをしたいと思います。」と語っているが、その静かな暮らしにこそ、忘れてきた何かが込められているのは間違いない。

視力を失った三村は自分の夢はもちろん、武士としての仕事がままならないのだから、この後の生活の目処すら立たなくなっている。もちろん、社会保障の制度なんて江戸にはない。妻は親戚連中から「何か伝手はないのか(われわれには面倒なんてみれないのだから)。」と突かれ、町中で声をかけてもらった藩の実力者を頼ることになる。それが功を奏したのか、終生三十石を継いでよしという令が下され、自害をしようとするほど荒れ続けてきた三村は落ち着きを取り戻す。そうした中、三村は自分の妻がその藩の実力者と逢引をしているという噂を耳にし、新たな葛藤が湧き上がってくるのだ。

タイトルにある「一分」とは「面目」のことである。三村という三十石の武士はサラリーマン社会でいえば、平社員みたいなものである。普段はどうしようもない冗談を言ったり、うだつのあがらぬ呑気な素振りをしているが、そんな武士でもどうしたって守らなければならない面目がある。藤沢周平の小説世界はサラリーマン社会に重なる部分を持っていると言われるが、こうした部分は真面目にやるほどむくわれないという常に変わらぬサラリーマン、市井の社会の状況に重なってくる。湧き上がってきた葛藤とその後の顛末はここでは書かないが、だからこそ、その物語には多くの方が心の中で「快哉」を叫ぶはずだ。

木村拓哉の主演が大きな話題となっている作品だが、彼の好演(後半になるにしたがって良くなっていく)以上に妻を演じる檀れいが圧倒的に素晴らしい。脇を固める笹野高史、桃井かおり、緒方拳、小林稔待などの上手さは言うまでもないだろう。こうした役者陣の良さに静寂さの中に広がる映像的な美しさ、ユーモアも加味した物語エンタテインメント性などが一体となった良作である。ただ、ここに描かれている世界はもうほとんど存在しておらず、ここでの現在では「一分」も別の部分に流れ込んでいる気がする。そうした部分で山田洋次監督が寅さんで描いてきた「日本的なるもの」をきっちりと受け取り続けている彼らしい世界観を持った作品だ。

キャスト・スタッフ

出演:
木村拓哉/檀れい/笹野高史/小林稔侍/赤塚真人/緒形拳/桃井かおり/坂東三津五郎
監督:
山田洋次
脚本:
山田洋次
原作:
藤沢周平
撮影:
長沼六男
音楽:
冨田勲
  • コメント

一覧へ戻る