送還日記

イントロダクション&ストーリー

1992年の春、ドキュメンタリー映画監督のキム・ドンウォンは刑務所から出所した身寄りのない老人ふたりを彼の住んでいる町まで連れてきて欲しいと、ある神父から頼まれる。その老人は北朝鮮のスパイ、しかも、何十年も刑務所に閉じ込められ、ひどい拷問を受けながらも自らの政治的な信条を変えなかった非転向と呼ばれる強者たちだという。キム・ドンウォンは彼らに会うことに恐怖と好奇心を感じるが、結局は好奇心が勝ち、仕事柄からビデオカメラを手に彼らを迎えにいく。キム・ドンウォンが会った彼らは寡黙な部分はあったが、拍子抜けするほどに普通の老人であった。彼らに興味を持ったキム・ドンウォンはそれからカメラを手に北のスパイと呼ばれ、長い間を刑務所で過ごした老人たちの姿を追い続けることになる。それは12年にもわたる長い歳月となっていく。

コラム・見どころ

この10年間で最も優れた映画など尽きることのない賞賛を浴び続ける、ひとりのドキュメンタリー映画監督と北朝鮮のスパイと呼ばれた老人たちの12年間にわたる人間的な交流を描いた傑作ドキュメンタリー映画。

拉致問題を巡り、日本と北朝鮮の関係も相当に難しい状況となっているが、ここに出てくる老人たちのほとんどは北朝鮮のスパイとして韓国に潜入し、逮捕され、何十年にもわたる獄中での生活で度重なる拷問を受けてきた。彼らにはそうした拷問に耐えられず、思想を転換した者、耐え切り、思想を転換しなかった者がいる。拷問の様子は本人の口から淡々と語られるが、自分には想像しただけで耐えられないであろうことが分かる。実は思想を転換した者はそれをものすごく後悔し、引け目すら感じている。

この作品は政治を前面に押し出した、政治的な作品ではない。キム・ドンウォン監督と北朝鮮のスパイと呼ばれた老人たちの交流の記録なのだ。思想を転換したものが後悔していることには政治が横たわっている。その逆も真だ。でも、監督自身はそういった部分に違和感を持っている。老人たちが凝り固まった思想信条の話を始めると呆れ果てたかのように「また始まった」という呟きのようなナレーションを映像に何度もかぶせている。普通のおじいちゃんたちなんだけど、そういった頑なな部分が抜けない。そこにはどうしようもない政治が横たわっている。

老人たちは自分たちの国に帰りたいと願っている。実はそこには単純に故郷に戻りたいという想いと共に様々な形がある。例えば、北のスパイは韓国に住みながらも朝鮮戦争の際に北に味方することで入り込んだ者もいる。彼の本当の故郷は今、自分がいるここなのだけれでも、家族、親族は会うことも拒んでいる。それは彼がスパイであったことで、とんでもない迫害を受けたからだ。それから、この地で家庭を持ったものがいる。彼は北に戻りたいという想い、ここで家族と暮らすという想いのふたつを持っている。そんな彼らが自らの帰国へ向けての運動を始める。思想的には全く受け入れることが出来なくても、人間的には100%の愛情と信頼を持った監督は彼らの希望をかなえるために、帰国運動に協力していく。その帰国がタイトルの“送還”を意味し、それまでの記録が“日記”となっているのだ。だからこの作品は時間j区に沿って進んでいく。

帰国したいという老人たちも、監督も、多くの韓国の国民は“統一”という強い願いを抱え続けている。老人たちの“統一”の考え方はぶっ飛んでいるけれども、“統一”という根本的な部分は変わらない。なんで南にいながら、北のスパイになったのかもこういう部分から多少は感じ取ることが出来る。オリンピックの入場の際の“統一旗”と“コリア”も表面上のポーズであろうが、それへの端的な表れである。ここの部分を僕たちはもっと感じるべきなんだと思う。

作品は、韓国国内で最も人気のある映画雑誌「CINE21」がこの10年間で最も素晴らしい映画として選出、サンダンス国際映画祭では表現の自由賞を受賞するなど、韓国国内のみならず、世界各国でも高い評価を獲得し、パク・チャヌク監督、アン・ソンギなど韓国の映画人が最高の賛辞を寄せている。そこにも間違いなく“統一”という気持ちが横たわっているはずだ。そして、北のスパイと呼ばれた老人たちの真実を知ったという部分ももちろんあるだろう。それは、なんだ、俺の爺さんと変わらないよなという普通の気持ちだ。

2時間半もある長い作品だが、その2時間半には北のスパイたちと監督が互いに過ごしてきた人間的な12年という歳月が凝縮されている。韓流作品の面白さを味わうのももちろんだが、そうした作品が生まれる国に横たわる現実、想いというものを先入観だけで敬遠せずに感じ取ってもらえればと思う。多くの韓流スターがこの作品に胸を打たれているであろうのも確かのだから。

キャスト・スタッフ

監督:
キム・ドンウォン
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