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【私の履歴書・延 智美(ヨン・ジミ)】第5回 ついに念願の道へ


私の履歴書~Profile No.2~

「通訳は裏方の仕事だから、私が表に出るなんて!」と、恐縮されていた延さん。しかし、いざインタビューが始まると、通訳をされているのは勿体ないほどの滑らかな語り口!凡人には決して経験できない延さんの半生に、身を乗り出して聴き入ってしまいました。延さんのインタビュー、必見です。

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2002年はワールドカップ共催がありましたし、日韓国民交流年ということで様々なイベントが企画されて、いつになく日韓の友好ムードが高まった年でした。
日本の文化開放も進んで、街中のカフェやCDショップなどでJ-POPが普通に流れるようになっていました。当初、日本の大衆文化が開放になったときには、漠然と、これから日本の音楽や映画、ドラマなどがたくさん韓国に入ってきて、その仕事が増えるだろうと思っていました。ところが逆に、全く予想していなかった、日本での爆発的な韓流ブームが起こったんです。

そして韓流ブームによって、今までに経験したことのない新しい通訳の場も生まれました。ファンミーティングがその一つです。私にとって初めてのファンミーティングの通訳は、2004年3月、田代親世さんがMCを務めたウォンビンさんのイベントでした。TBSで放送されたドラマ「フレンズ」で早くから人気の高かったウォンビンさんに会うために、400人くらいのお客さんがツアーを組んでソウルにいらっしゃったんです。俳優さんの言葉を一語一句もらすまいと熱いまなざしを向けるファンに向けて、その声援に精一杯こたえようとする俳優さんの熱い思いを通訳するというのは、他では味わえない緊張感と興奮がありました。通訳をしている間シーンと水を打ったように静まり返っている客席が、通訳が終わると、笑いが起きたり、ため息がもれたり、歓声がわいたりするんです。

学術会議では専門的な知識、情報を正確に伝えることが求められますし、政治、経済の分野においてはシビアな交渉が必要とされます。でも、エンターテイメントの通訳は、正確な情報に加えて、喜怒哀楽の感情を伝えることがとても大事で、また、それを伝えられるということが魅力なんだと実感しました。

ステージの上に立って、お客さんが言葉や文化の壁を越えて、一緒に笑って感動している姿を観たとき、自分が通訳として、その感動の橋渡し役をしているのだということに胸が熱くなりました。

ブームの初期は、ファンミーティングだけでなく、ロケ地ツアー、ジャンケット取材など、日本の皆さんがたくさん韓国にいらっしゃったので、いよいよエンターテイメントの通訳にどっぷりつかっていきます。まさに探し求めていた道が、目の前にパーッと開けたような感じがしました。


(第6回へ続く)

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