「応答せよ」シリーズといえば、その時代ならではの小ネタが満載なのも大きな特徴。知らないでも十分楽しめますが、少し知識を入れておくだけで、また別の楽しみ方ができます。まだご覧になっていない方も、もうご覧になった方もぜひご一読を。

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要チェック!

新村

延世大学の正門前に広がる学生街。地下鉄2号線のほか、鉄道の駅も。近くに梨花女子大学もあるため、多くの若者で賑わう。ドンイルとイルファが営む新村下宿の所在地。

ヘテ

製菓メーカーを中心とした企業グループ。82年から2001年まで、全羅南道の光州市を本拠地とするプロ野球チーム、ヘテ・タイガース(現・起亜タイガース)を所有していた。全羅南道・順天市出身で、同チームの大ファンであるヘテのニックネームはここからとられた。

大学バスケットボール

90年代に大ブームに。スター選手たちが卒業後、プロ第1世代として活躍し、バスケ人気を盛り上げた。ナジョンが熱狂的に応援していた延世大学のイ・サンミンは卒業後、プロ選手となり2010年に引退。現在はサムソン・サンダースの監督を務めている。延世大学のムン・ギョンウンも実在の選手。

韓国の大学

新学期は3月で、6月半ばまでの1学期と9月(8月終わりのことも)から12月半ばまでの2学期に分かれている。

復学生

大学の途中で兵役に就き、除隊後、キャンパスに戻った学生のこと。2年時に行くことが多いため、3年男子の中には“かなり老けて見える”学生が多い。ピカピカの新入生であるサムチョンポは合コンの席で「復学生?」と聞かれ、屈辱を感じる。

ピングレ

「バナナ牛乳」で知られる食品会社。その名を冠したプロ野球チーム、ピングレ・イーグルス(94年からハンファ・イーグルス)の本拠地に近い忠清北道出身のピングレのニックネームはここからとられた。同チームにはかつてドンイルも所属していた。

ソ・テジ&ボーイズ

92年にソ・テジとヤン・ヒョンソク、イ・ジュノが結成。ロック、ヒップホップ、テクノなどを融合させた新鮮なメロディと社会性のある歌詞で綴られたラップで若者たちから爆発的な人気を得た。その絶大なる影響力から“文化大統領”とも呼ばれたが、96年に突然解散。ファンはもちろん、社会全体に衝撃を与えた。現在、ソ・テジはソロアーティストとして活動し、ヤン・ヒョンソクはBIGBANGなどが所属するYGエンターテインメントの代表を務めている。

20歳

満6歳で6年制の初等学校に入学し、3年制の中学校、高校を終えて大学に入学する韓国。そのため、大学1年生の多くは満18歳だが、普段は「数え年」(生まれた時に1歳。1月1日を過ぎると1歳年をとる)で自分の年齢を言うことが多い。そのため、ナジョンたちも「20歳」となる。

「ジュン」

ピングレが従兄弟であるチルボンを「ジュン」と呼んだように、韓国では、親しい相手に対して名前の後半だけを呼ぶことがある。はたして、ナジョンの夫キム・ジェ“ジュン”は彼なのか?

サツマイモとキムチ">

韓国では一緒に食べるとおいしいと言われている。潔癖性のサムチョンポは、ナジョンがキムチを乗せると嫌な顔をしたが、ユンジンが乗せたものは、おいしそうに食べる。

レジデント

医学部を卒業し、国家試験に合格したスレギは、インターンとして1年過ごした後、4年間のレジデント生活を送ることに。

先輩と兄貴

韓国語では日本語の「兄」「姉」にあたる言葉が話し手の性別によって違う。話し手が女性の場合の「兄」は「オッパ」、「姉」は「オンニ」。また、話し手が男性の場合の「兄」は「ヒョン」、「姉」は「ヌナ」という。出会った頃、スレギのことをいち早く「ヒョン」と呼んでいたチルボンだが、ナジョンをめぐって複雑な思いを抱くようになって以降は「先輩」と呼ぶように。

赤いTシャツ">

2002年のFIFAワールドカップ開催時、韓国ナショナルチームのサポーター集団“レッドデビル(赤い悪魔)”が提案した赤いTシャツが大流行。多くの人が「Be The Reds」(赤くなろう)」と書かれたTシャツを着て応援した。ユン・ドヒョン・バンドの歌う応援歌『オー! 必勝コリア』も、大ヒットした。